1/3の22時頃、バスタ新宿からスタート。
前日まで九州旅行で0時前に帰宅、
当日昼間は実家へ帰省し、自宅へ戻ってから準備して出発の超強行軍。
22時5分、西武バス南紀勝浦線に乗車。
これから向かう和歌山県の東側、新宮・那智勝浦方面は関東からだととんでもなく遠い。
東京からだと
新幹線+特急 → 約6時間弱
飛行機+高速バス → 1時間半+3時間で、乗継も考えれば5時間超はかかる。
疲れていれば座席でも眠れそうだし、夜行バスなら予算も新幹線や飛行機とくらべて4000円以上安くなる。
そんな訳で前日からの移動を決意して夜行バスに乗車。
座席は3列独立で、窓側はカーテンで仕切られていて半個室みたいな雰囲気にできる。
リクライニングのレバーは右の肘掛の下にあって場所は分かりづらかった。
フルリクライニングだと結構倒れて快適。
自分の席の後ろ側も予約は埋まっていたはずだが、結局終点まで空席だったので遠慮なくリクライニング出来た。
たまたま目が覚めたら三重県の安濃SAで休憩時間だった。時刻は朝の4時半。
その後もうとうとしていれば、朝8時過ぎに紀伊勝浦駅前に到着。
流石に熟睡とまではいかず、2時間おきに目覚めるくらいだったがこれなら問題なし。
夜行バスは人生2回目だったけど、全然苦ではない一晩だった。
後ろに人がいなかったのが大きかったかもしれない。
バス停目の前の勝浦漁港にぎわい市場で朝食。
勝浦漁港は生のマグロの水揚げ全国一位ということで、朝からマグロが食べられる。
ヒラスズキとマグロの刺身定食。
港内は小魚もたくさん泳いでいた。ボラの稚魚だろうか?
9時過ぎに紀伊勝浦駅から熊野御坊南海バスで約30分移動し、熊野那智大社に到着。
建立が西暦315年頃、仁徳天皇の代だが詳細は不明らしい。
神武東征の際、道案内をしたとされている八咫烏。日本サッカー協会のシンボルにも用いられている。
晴天よりも、曇って霧が出ている天気のほうが幽玄の美しさがあったかも。
まあ晴れのほうが動きやすくて助かるのでセーフ。
10分ほど道を下り、飛瀧神社に到着。
那智滝をご神体としており、滝の落ち口のところに注連縄がある。
飛瀧神社から少しだけ車道を歩いて、大門坂から当時の参道を下って下山していく。
行きは那智大社の手前までバスで向かったので、ちょうど参拝した人々が下山するルートと同じ道を辿っていく格好だろうか。
那智駅でバスを降りてバスを乗り継ぐか、各駅停車で行く方が安いが、+500円でコンセント付きの座席がある特急を使えたので今回はこちらを選択。
新宮駅から10分ほど歩き、
速玉大社近くの総本家めはりやで昼食。
めはり寿司と串カツが名物らしい。
熊野三山の2つ目、熊野速玉大社に到着。
イザナギとイザナミが祀られている、、、のだが日本神話に疎すぎてこれ以上書けることがない。さすがにもうちょっと予習してから来るべきだった。
神社の隣には川原家横丁と呼ばれる小さな商店街があった。
江戸時代からこのあたりの熊野川沿いに形成されはじめ、
川の洪水で家が流されないように解体・組み立てが1~2時間で出来るようになっているらしい。
15時も過ぎ、今日の宿である川湯温泉へ。
速玉大社前のバス停から1時間ほど熊野御坊南海バスに乗り、請川のバス停から降車。
30分ほど川沿いを延々と歩く。
途中には野営場もあったが、割と普通のキャンプ場っぽかった。
山水館 川湯まつやにチェックイン。
一通り荷物をバラまいた後で見苦しいのだが、土足で部屋に入り一段上がったところの畳に布団を敷き寝るスタイルで、少し変わっている。
近くに姉妹館で高級宿の川湯みどりやがあり、ここは元社員寮を改装して営業しているのだろうか?
何にせよ1泊5000円で泊まれるからありがたい。
今回川湯温泉を選んだ目的は、仙人風呂と呼ばれるクソデカ露天風呂に入るため。
冬季限定で、川底から湧き出る温泉をせき止めて露天風呂が開放される。
(和歌山県公式観光サイトから引用)
夜22時まで入浴可能で、混浴のため水着or湯あみ着の着用が必須。
水着を忘れてしまったので、フロントに聞いてみたところ姉妹間のみどりやから湯あみ着を借りてよいとのことだった。
たまたま入った場所の近くで川の水を引き込んでいたせいか、
右肩はあたたかく、左肩はぬるいみたいなかなり不思議な感覚だった。
川底の砂利を触るとやや熱く、少し掘るとさらに熱くなる。
所々で泡が立ち上がっていて、ここから温泉が湧き出ているのだと実感できた。
40度前後の快適な温度で、冬の星空を眺めながらのんびりと過ごすことが出来た。
姉妹館のみどりやには飲泉所もついていた。
注ぎ口のところに白い湯の華がびっしり付いていて、硫黄のにおいも強い。
飲むとゆで卵風味の味で意外とうまかった。